震災の教訓

震災の教訓

早いもので、一年が経過しました。

                                                                     
むろん、あの悪夢のような 2011.3.11から―――です。
                                                                     
TVの特番を再度見る必要がないほど、あの日の惨状は、いまもなお脳裏にハッキリ残っています。
                                                                                                                                          
とはいえ、少しずつ、少しずつ、忘れられていることも確かでしょう。
                                                                     
人は『忘れる』ことができます。
ある意味、『忘れる』ということは、人にとって必要なことでもあるのでしょう。

震災で、親や我が子など、愛する人を失った人々にかける声など、私にはありません。
                                                                    
ただ、以前読んだ本(うろ覚えですいません)の中にあった、
老婆がいう台詞―――
                                                                    
「あなたはまだ若いからわからないでしょうが、哀しみにも終わりはあるのよ・・・・」
                                                                    
この言葉が、どこか、私の胸の内に残っています。
                                                                                                                                                                                                              
反面、『忘れてはならない』ことがあることも、また確かです。
                                                                    
・自然に対する畏れ
・日々の備えや意識
などなど、我々が生涯の教訓にすべきことは、沢山ありました。
                                                                                                                                         
その中で、私が強烈に感じた恐怖―――それは、
『自然』(地震、津波)、『原子力』はもちろんですが、それ同等、それ以上に、
                                                                    
『人』が“大義”を与えられたときの『純粋さゆえの狂気』でした。
                                                                                                                                         
被災した側だから許される?暴論、
一見、理がありそうで?実は単なる感情論、、、などなどが、
“大義”の名のもとで、まかり通っていく・・・・
                                                                    
その様(さま)は、もはや、『言論封圧』『思考停止』の域に達していたように思えます。
                                                                                                                                          
同時に、私はそのとき、
『パチンコ業界に対する、世の中の人々の鬱積した感情』の数々
を目の当たりにした気がするのです。
                                                                     
15年以上業界におり「ある程度は、理解していた」つもりでしたが、
地震や津波に対する認識同様、
それらは、「“私の想定”を、遥かに超える」ものでした。
                                                                                                                                         
まるで、「パチンコ=悪」という”大前提”ありき のものばかり・・・・・
                                                                    
インターネットの掲示板などをご覧になった方も多いことと思います。
皆さん、いかがお感じになりましたでしょうか。
インターネットとは、基本、匿名性にありますので、「アレが心底にある本心」と考えて然るべきでしょう。
                                                                                                                                         
むろん、冷静な正論もありました。
                                                                    
が、一瞬で、“大義ある悪意”の波にのまれていってしまう―――その様は、
「中世の“魔女狩り”とは、このように進行していったのだろうな」
そう思えるほどでした。
                                                                    
私はその様(さま)に、人の悪意の持つ力に、私はある種、津波以上の恐怖を感じたのです。
                                                                    
もちろん、[インターネット]という”モノ”の力も、大いに作用しており、その影響力も、まざまざと感じさせられました。
                                                                                                                                          
震災以降、『パチンコ業界に対する世論・イメージ』というものを、折に触れ、私は感じさせられておりますが、その悪意の拡がりは、震災直後以上ともいえる気がします。
                                                                     
プラスのことは、湾曲してマイナスに解釈され、
マイナスならば、とことんマイナスを肥大化される
                                                                                                                                         
ある意味、これら『悪意ある世論のコントロール』は、
現在のインターネット社会において、
『ゴト被害対策』以上に深刻かつ難しい危機管理項目なのではないでしょうか。
というより、『ゴト対策』などの“行動”が、『世論』を“醸成”していくのでしょう。
                                                                                                                                       
―――なにより、このような世論の中で育った子供たちは、20年後、パチンコ業界をどう見るのでしょうか。
                                                                    
私はそこに大きな不安を感じずにはいられません。

勿論、ときに大きな憤りを感じることもありますが、
私は、パチンコ業界に身をおくものとして、これらの世論・イメージを、
『震災の教訓』
として、強く認識していかねばならないのではないか
マイナスイメージだからこそ、少しずつでも、初めは認知されなくても、
プラスイメージだけを、地道に積み上げていかねばならない
そして10年後20年後に繋げていかねばならないのではないか
                                                                                                                                         
震災から一年経った今、業界の20年後を考えたとき、私はそう強く感じてしまうのです。
                                                                     

2012-03-28 【知識】と【行動】 危機管理からリスクマネジメントへ
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